杉山和一の墓
検校の墓碑は、表面に「前惣検校即明院殿眼叟元清権大僧都元禄7甲戌年5月18日」。裏面に「施主 杉山安兵衛重昌 三嶌惣検校安一 元禄8乙亥年5月18日」とあり、2代目総検校三島安一が和一歿の翌年に建立した墓である。
検枚墓の前面左右に二基の石灯寵がある。裏面に「寄進石燈墓 二基 元禄十三年庚辰五月十八日 川越少将源保明室」とあり、柳沢保明の室が和一7回忌に寄進したものである。
江ノ島検校谷なる検校の墓前には、検校の七回忌にあたって柳沢保明の室が寄進した二基の石灯寵(後註)が遣っていますが、保明の室というのは、吉里の生母お染の方のことである。
江の島「セツさん」の墓
江島墓地の検枚の背後にある。「即到院華見妙春霊位、元禄辛未年正月 三十日」と記さている。一説に検校をお世話た岐阜出身の「セツ」は、和一が病重態のときに病気平癒を弁天様に願って一身を捧げたことら和一が同じ墓所に墓を設けことを願ったといわれている。和一は正妻はなく一妾があたことは杉山家系譜に「無妻、妾宝永二年五月二十一日卒」ある。しかし、系譜の妾とはその没年を異にすることから系譜とは別人と思われる。