高野山金剛峰寺の墓所(和歌山県高野山奥之院杉山和一墓所)
この墓碑は昭和14年3月28日に吉田弘道の願いに基づき、長男・吉田雅生民によって建立されたものである。
中央に「杉山総検校」、両側に「奉道立為 贈正五位 報恩謝徳 斯道興隆」とある。
和一墓碑の右側には、没後の14年8月に「鍼医書田弘道墓」が建立されている。しかし昭和34年の伊勢湾台風の折に倒壊したため、弘道の孫・吉田一弘氏が分骨された骨を東京に持ち帰って現在、お骨はないという。
墓所の所在地は高野山金剛峰寺普門院が菩捷寺で、奥之院墓地「-の葡」の参道の武田信玄墓地を右に見て少し上った所にある。墓所への入り口に「管鍼開祖杉山検校之墓」と記した道標がある。