弥勒寺の杉山和一の墓(中央)と鍼供養塔(左)

杉山和一の墓

元禄7年(1694)、5月18日病の床に臥し、6月26日85歳歿(幕府届け)。
観音信仰から遺言で5月18日を命日としている。実際は5月20日死去(杉山系譜)。
遺骸は綱吉の寵臣した牧野成貞の菩提寺である本所二ツ目、真言宗弥勒寺に葬られ、「前惣検校即明院殿眼叟元清権大僧都」。家紋は九曜、五三桐、枝菊。

鍼供養塔の建立

昭和53年4月16日前年の事業企画に依り、はり供養塔建立委員会が編成され、その構成は社団法人東京都鍼灸按マッサージ指圧師会、社団法人東京都鍼灸師会、財団法人東京都盲人福祉協議会、東洋はり医学会、東都医療艾製作同盟。財団法人杉山検校遺徳顕彰会の6団体。